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282件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2020-04-03 第201回国会 衆議院 安全保障委員会 第3号

さて、防衛大臣に伺いますが、二〇一三年一月に、沖縄県内四十一市町村長と県議会の代表者市町村議会議長らが、米軍普天間飛行場閉鎖撤去県内移設断念、同飛行場へのオスプレイ配備撤回を求めて安倍総理に提出した建白書歴史公文書として国立公文書館で永久保存されることが決まりました。私は、河野大臣の同決定の英断をたたえます。  

照屋寛徳

2019-03-12 第198回国会 参議院 内閣委員会 第3号

そのような中で、昭和五十五年や平成四年などに普天間飛行場において米軍機事故が発生をし、地元から危険除去が求められていたことや、また平成七年に沖縄で発生した不幸な事件などを契機に、当時の大田沖縄県知事要請を受けて、普天間飛行場県内移設全面返還について日米合意したのが今から二十三年近く前のいわゆる橋本総理モンデール日大使との会談であります。  

菅義偉

2019-03-12 第198回国会 参議院 内閣委員会 第3号

木戸口英司君 少しこだわるんですけれども、今、大田知事から県内移設そして普天間返還という要請、そして橋本モンデール会談との合意ということがありましたが、橋本モンデール会談があって、サプライズのように普天間返還大田知事に伝えられて、それに同意してくれという中で様々な条件があるということについて、それはここでは同意ができないというのが大田知事の返答であって、県内移設については当時の大田知事は全

木戸口英司

2019-03-05 第198回国会 参議院 予算委員会 第4号

ですから、この県内移設ということも同時に米国約束をしているわけでございます。そして、その後、小渕内閣のときに辺野古への移設閣議決定をされたわけであります。つまり、普天間全面返還するということの中において、こちら側も約束を守り、それを進めていくことによって普天間返還が実現されることになるのでございます。  

安倍晋三

2018-11-27 第197回国会 参議院 内閣委員会 第5号

当時の大田知事米軍基地強制使用のための代理署名拒否を表明していて、その混乱を収束するために橋本総理が率先をしてこの普天間基地返還ということをモンデール当時の駐日大使と取りまとめたということ、そして、県内移設条件にしたということもむしろ橋本政権側から提案をしたことということだと認識しておりますので、その今の認識も、この間、琉球新報で、ファクトチェックにあったわけですけれども、ここもフェイクではないかということを

木戸口英司

2018-11-27 第197回国会 参議院 内閣委員会 第5号

その上で、先般の参議院内閣委員会での私の答弁は、今から二十二年前に当時の橋本総理モンデール米国大使との間で普天間飛行場県内移設合意をされた、その議論の前提として、それ以前の昭和五十五年や平成四年など、普天間飛行場において米軍機事故が発生し、地元からは危険除去が求められていた、こうしたことを申し上げたものであります。  

菅義偉

2018-11-27 第197回国会 参議院 内閣委員会 第5号

○国務大臣(菅義偉君) 先般の内閣委員会で私が申し上げたのは、当時の沖縄県知事要請を受けて普天間飛行場県内移設日米合意したのが今から二十二年前の橋本総理モンデール米国大使との会談であり、具体的な移設先については、その三年後の平成十一年、当時の稲嶺知事及び岸本名護市長同意の下に、辺野古沿岸域である、こうしたことを閣議決定したという歴史的な事実だというふうに思っています。  

菅義偉

2018-11-15 第197回国会 参議院 内閣委員会 第2号

木戸口英司君 合意というのはそうなのかもしれませんですけれども、その県内移設そして当初はヘリポートということ、案ですけれども、この辺り、どういう例えば軍事的プレゼンスといいますか、あるいは地政学的にとよく言われますけれども、後に抑止力問題というのはちょっと触れますけれども、どういうところからここが出てきたのかというのは、やはりここに立ち返って検証しなければいけないことだと思います。  

木戸口英司

2018-11-15 第197回国会 参議院 内閣委員会 第2号

ここで橋本総理県内移設を、県内移設前提としてということをおっしゃっておりますけれども、そこで沖縄米軍基地内にヘリポートということがこの新設ということでなったんだろうと思うんですが、後にモンデールさんが琉球新報のインタビューに答えて、普天間撤退代替施設を見付けるのが条件だった、私たちは沖縄辺野古だと言っていないと。  

木戸口英司

2018-11-02 第197回国会 衆議院 予算委員会 第3号

二十二年前に、当時の橋本総理モンデール日大使の間で、沖縄県からの強い要請の中で、普天間飛行場の危険を除去するために県内移設ということが決まった、そして、それから三年後に、地元市長県知事の間で合意をされて辺野古になった、そこを政府として閣議決定をして今日に至るわけでありますけれども、私ども政権ができる前までにその決定が遅々として進まなかったんです。

菅義偉

2017-04-20 第193回国会 衆議院 憲法審査会 第4号

沖縄の御意見ということも聞かせていただきましたが、中で、米軍基地県内移設は決して受け入れられないのが沖縄県民の民意と申されましたけれども、第一に、SACO合意等がありまして、政府米軍基地整理、統合、縮小については沖縄県側もこれを進めるという立場で、特に嘉手納以南の土地の返還につきましても、県側移設側も、これは決して受け入れないという立場をとっておりません。  

中谷元

2016-12-14 第192回国会 衆議院 外務委員会 第5号

佐々木 紀君     白須賀貴樹君 同日  辞任         補欠選任   白須賀貴樹君     佐々木 紀君     ————————————— 十二月十三日  日本国の自衛隊とアメリカ合衆国軍隊との間における後方支援、物品又は役務の相互の提供に関する日本国政府アメリカ合衆国政府との間の協定の締結について承認を求めるの件(条約第二号) 十一月十四日  米軍普天間飛行場早期閉鎖返還沖縄県内移設

会議録情報

2016-10-26 第192回国会 衆議院 外務委員会 第2号

(第二二〇号)  同(高橋千鶴子紹介)(第二二一号)  同(畑野君枝紹介)(第二二二号)  同(畠山和也紹介)(第二二三号)  同(藤野保史紹介)(第二二四号)  同(堀内照文紹介)(第二二五号)  同(真島省三紹介)(第二二六号)  同(宮本岳志紹介)(第二二七号)  同(宮本徹紹介)(第二二八号)  同(本村伸子紹介)(第二二九号)  米軍普天間飛行場早期閉鎖返還沖縄県内移設

会議録情報

2016-10-14 第192回国会 衆議院 外務委員会 第1号

————————————— 十月十四日  米軍普天間飛行場早期閉鎖返還沖縄県内移設の中止に関する請願(田島一成紹介)(第一一一号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  理事の辞任及び補欠選任  国政調査承認要求に関する件      ————◇—————

会議録情報

2016-03-09 第190回国会 衆議院 外務委員会 第2号

普天間飛行場辺野古への県内移設断念し、国外・県外移設米側に提起すべきではないか。」などなど、各紙こういうふうに、やはり、辺野古が唯一の解決策であると言っている限り、それはもうデッドロックなんだと。だから、そこから協議を進めていくための国の姿勢をしっかり問い直すべきではないかというふうに言っているわけです。  

玉城デニー

2015-08-27 第189回国会 参議院 外交防衛委員会 第23号

じゃ、次に、沖縄の方々の疑問の一つとして、海兵隊沖縄重要性は分かりました、としても、じゃ、なぜ普天間基地県内移設じゃないと駄目なんですかと。ほかの海兵隊もいろいろありますけれども普天間海兵隊一つだけ、グアムとかあるいは岩国の方に持っていっては駄目なんですか。  実際に、空中給油機とか、あるいは緊急機の着陸の代替機能沖縄本島から外に移しました。

佐藤正久

2015-07-03 第189回国会 衆議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第17号

そういう中で、日米、そして沖縄県も入って、この世界で一番危険な飛行場県内移設ということが決まって、それから三年後に、今から十七年前でありますけれども辺野古移転が決まった。そしてまた、日米安全保障の中で抑止力を維持する、そして危険除去、そして固定化を避けるという中で、今、私ども移転のお願いをさせていただいています。  

菅義偉

2015-06-29 第189回国会 衆議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第15号

まさに辺野古への移設によって普天間基地全面返還されるわけでありますので、かつて、十九年前に日米普天間基地県内移設することが合意をされ、そして地元県知事、そして市長の了解をいただく中で、普天間移設方向性閣議決定をされて、それに向かって、今、一昨年に埋め立ての申請の許可をいただいて、工事をさせていただいているところであります。  

菅義偉

2015-05-12 第189回国会 参議院 外交防衛委員会 第12号

なぜかと申しますと、やはりこの普天間県民が望んでおります即時閉鎖返還というのは一九九五年の少女暴行事件に端を発しておりまして、決して県民の負担を本当に県内移設で改めて強いるということではなかったと思います。最初にこの問題がスタートしたということをお忘れになっているのではないかというふうな思いすらいたしております。  

糸数慶子